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私達も嵯峨源氏の末裔と言うことは、神社のお社からも判っていました。ご神体が「天御中主尊」であることの意味がりかいできないままに今日に至っていました。
渡邊惣官第47代家首との出逢いが、義経が追われるようになり、摂津より渡邊一族も3000名の一族を引き連れて現在の三豊市に比地大城を造城した。
その後、鎌倉幕府から毛利の領地をもらうことにより、毛利と犬猿の中になる。織田家の見方になり、秀吉に付く。このときの本家は比地大から大三島に住城を移していた。
我々は渡邊の綱を始祖とする、言うなれば嵯峨源氏なのである。宜しければ、祖先の足跡を探して、我々の子孫に渡邊家の流れを教えて行きたいと思っています。
全国の渡邊家の会を作りたいと思います。賛同する人たちの連絡をお待ちしています。
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